「英雄」狙いか「ヒーロー」狙いか?

英語のヒーロー(hero)をGoogleで翻訳してみると、「英雄」と訳されます。しかし、日本語のニュアンスでは、なんとなく「英雄」と「ヒーロー」は違います。

例えば・・・?
豊臣秀吉は「戦国時代の英雄」ですが、フーテンの寅さんは「下町のヒーロー」です。
「英雄」とは「偉業を成し遂げた人」であり、「ヒーロー」は「庶民から慕われる人」。

中国の「三国志」でも、戦いに明け暮れて志し半ばで力尽きた「劉備玄徳」や「諸葛孔明」などはファンが多く、「ヒーロー」です。しかし、最後まで生き残って天下を統一した「司馬懿仲達」は「英雄」かもしれませんが「ヒーロー」では内容に思います。

日本の鎌倉時代で言えば、朝敵として討たれた「源義経」は庶民に慕われる「ヒーロー」ですが、鎌倉幕府を開いた源頼朝は「英雄」でしようが「ヒーロー」にはなれませんでした。その理由は、権力に固執するあまり、弟を欺いたからでしょう。

結局、結果を出す人よりも、結果は残せなかったがドラマ性のある人生を送った人に、人々は心惹かれるのでしょう。

こう考えてみると、誰が勝者で誰が敗者なのか、白黒をつけるのはとても難しい気がします。

勝ち残った人が勝者なわけですが、業績を残して愛されません。生きていくことを通じて愛されること、これがヒーローの条件です。

一方で、戦国時代の英雄は、愛されるのが目的ではなく、天下統一を巡って命をかけて戦ったわけですから、戦い続けたわけですから、嫌われたって構わないと思っていたのでしょう。

大切なことは、

  • 「英雄」的な成功を収めたいのか
  • 「ヒーロー」的な成功を収めたいのか

だけなのかもしれません。

現在の日本では、「お金持ちになりたい」とか「経済的に成功したい」と、口に出して言っていると世の中の嫉妬やねたみが集中します。

その一方で、ヒーローとして成功する人は、志が先行しています。
たとえば、

  • 世の中をこう変えたい
  • 自分と家族のあり方としてこうありたい

と思い続けていれば、結果は出なくても、また、志半ばで敗れたとしても悔いはなく、満足できるのが人生です。

「お金も欲しいし人気も欲しい」とか「愛も欲しいし嫌われたくない」と、「英雄」と「ヒーロー」の二兎を追っているとストレスでつぶれてしまいます。

自分がどちらの人生を歩みたいかは自由です。

要はどちらかに割り切って生きるのが大切です。

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